私が保健師になった本当の理由

-2021年02月01日-

こんにちは。柏田ひろみです。

なぜ私が、セルフケアをテーマに活動しているのかについてお話ししたいと思います。

かれこれ30年ちょっと前からのお話。。。

私は、14歳の時に看護の仕事を意識し始めました。

その話をしたとき、近所に住む大好きな祖母がとても喜んでくれました。

それから3年後、部活に明け暮れていた17歳の初夏、大好きな友人が白血病で亡くなりました。

身近な人が目の前からいなくなった悲しみたるや。。。寂しい。寂しすぎる。。。友人は、治ったら看護の仕事をするんだと言っていました。

そのころ祖母は体が悪く寝たきりに近い状態になっていたのです。

友人が追えなかった夢、大好きな祖母が喜んでくれた看護師という仕事。

「よし、かおりちゃんの分もがんばろう。看護師になってばあちゃんのお世話しちゃろ。」

そう決意しました。それからガムシャラに勉強し、なんとか看護学校に入学しました。

看護学校の勉強はとても興味深かったです。ヒトの体って、すごい!病気のメカニズムはこうなっているんだ!一年生の秋には戴帽式を済ませ、看護技術を学び始めます。

そしていよいよ、学校での学びを祖母に!と張り切っていた頃・・・

なんと祖母は、自ら命を絶ちひとりで天に還っていったのでした。。。。。

ショックすぎ。。。。。

しばらくあまりの辛さに前に進むことができませんでした。

それでも、そんな私に周りの人はたくさん話を聴いてくれて、一緒に泣いてくれました。そのお陰で少しづつ前を向くことができるようになってきました。

そして

「そうだ、病院ではなく、地域に出よう。笑顔で天に還ることのできる世の中を作ろう。」

19歳の私はそう思いました。

そして、保健師学校に進み、地域の保健師として就職。

とても張り切ってました!

乳幼児健診に公民館などをまわって地域の方と交流、そして個別の家庭訪問。地域の方との触れ合いや患者さんとのやりとりは、やりがいがありました。

でも、やってもやっても、どんどんカルテは積みあがっていく。仕事量はどんどんアップしていく。まだまだがんばらなきゃ。

その時の私は、常に自分自身を叱咤激励していました。

できても当たり前。がんばってもがんばっても、まだがんばれと自分のことをいつも追い立てていたように思います。

当然いつも心は落ち着かなかった。休んでいても、休んだ気がしなかった。いつも走っていました。

働き方のバランスが分からず勢いだけで働いていた私は、とうとう体を壊しました。

その時気が付いたのです。

自分のこともケアできないって、だめじゃん、それ。

自分の身体の声をちゃんと聴いて、自分自身のケアができること。

これは看護の仕事に限らず、どんな仕事においても大切なこと。

これができて初めて、周りの人のケアや、お仕事が継続可能となります。

その経験をもとに、「自分の身体の声を聴き、自分と繋がるセルフケアの大切さを発信していこう」

そう思ったのが、今の活動の原点です。

セルフケアについて発信していく中で、様々な気づきがあり、これは世界がすごい勢いで平和になっていく効率的な方法ではないか?!と思い至りました。

10代の私には重すぎた、大好きな人を立て続けに亡くすという体験。

祖母が自ら死を選んだことは、ずっと納得がいかなかったし、私にできることがもっと何かあったのではないかと自分を長い時間責めていました。

でも、今思うと、竹を割ったような性格の祖母が「家族に迷惑をかけたくない」と自ら選んだ命の終え方だったようにも思います。悲しいことには変わりないけど、それは祖母なりの周りへの愛だったのかもしれない。そう思えた時に、初めて自分を縛っていたものから自由になれた気がします。

そしてそのことこそが、今の私への布石となっているのです。

もう、後悔にエネルギーを使うことを辞めました。

これからの人生は、そんな私が残りの人生をかけてやっていきたいことにエネルギーを注いでいこうと思っています。

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先日「なぜ保健師になったの?」というご質問を頂いたので動画にしてみました。

音声を収録して「Vrew」というアプリで文字おこしをしてみました。ラジオみたいに聴いて頂けたら嬉しいです。